時差ぼけのためかあまり眠れずに夜中にも何度も目が覚めて、朝の5時からシャワーを浴びました。昨夜、ミラノ乗り換えで到着したばかり。まだ身体は機内にあるかのようにフワフワとしています。朝食を終え、私たちはホテルを出ました。今回の旅行には、映画「ローマの休日」が好きな私の両親も一緒です。初めてのイタリアに胸を躍らせていたに違いありません。なのに初日からあんな体験をするとは!
この日、ローマは明日にイースターを控え、かなりの観光客やカトリックの信者たちでごった返していたようです。朝のローマは霧が出ていたみたいで、午前の早い時間は曇っていました。地下鉄、バス共通の1日券を購入し、テルミニ駅から地下鉄B線に乗り込み、始めにピラミッド、古代円形競技場コロッセオ、古代遺跡フォロ・ロマーノ、そしてサンタ・マリア・イン・コスメディン教会の真実の口と午前中にかなりのポイントを周り、何の危険も感じなっかた私は少し緊張感が抜けてしまったのでしょう。また、B線は空いていて座る事も出来ました。その後、またテルミニ駅から今度は地下鉄A線でスペイン階段へ行くためにヴァチカン方面のホームへ行くと、人、人、人で溢れていました。このA線の中で事件は起こりました。
列車がホームに入ってきて、乗客が列車のドアに殺到します。私たちのいた場所は特にたくさんの乗客が集まっていましたから、ちょっと空いている2つ後ろのドアから列車に飛び乗るように乗り込みました。私たちの後からも2〜3人の乗客が駆け込んで来ました。この後から来た乗客こそがスリのグループだったようです。ドアが閉まり列車が走り出すと狭い車内はぎゅうぎゅう詰めで、日本ではあまり見かけない、吊り革の代わりの登り棒のような棒に私たちは掴まっていましたが、私たちの肩越しにその棒に掴まっている乗客が数人。この時にどうもおかしいと気付けば良かったのですが…
デイバックを持っている私と父は、用心のためにバッグを後ろから前に移して持っていました。母はすでに棒を掴む2本の乗客の腕の間で縮こまっていました。一駅目のレップブリカ駅で私たちの周りの乗客は皆降りていきましたが、その時、私の隣にいた乗客(犯人と思われるこの男は私たちより先に乗っていましたが…)が、私に覆いかぶさるように寄ってきました。私は人に押されているのか、と思いました。その時の私の状態は上半身が右に大きく傾いていました。そのままその男は私の後ろを通って出て行こうとしましたが、ドアの前で立ち止まり、デニムのシャツの胸ポケットにあった私の手帳を、「ここに落ちてたよ」みたいな事を言いながら、そんな身振りで床を指し、私に渡しました。「あれ?!」と思いましたが、礼を言ってその手帳を受け取り、ポケットを見るとボタンが外されていました。
「あっ!」とこの時初めてスリだと気が付きました(遅いっちゅうねん)。手帳が落ちていたとされた床の上を見ると何か散らばっています。よく見るとそれは小袋に入った漢方薬「陀羅尼助丸」でした。そんな物を持っているのは私の両親くらいでしょう。「こいつは全員やられた!」そう思った私は両親に荷物を調べるように言いました。母は何も荷物を持っていませんでしたが、ズボンのポケットに入れていた漢方薬と酔い止めの薬等が抜き盗られ、父は前に持っていたデイバックのファスナーが空けられており、ウエストポーチのファスナーも空けられていました。私のデイバックには南京錠をファスナーに取り付けていたせいか(でも、ただぶら下げていただけでカギは掛けていませんでした)空けられてはいませんでした。
被害は、私は犯人と思われる男(違ったらごめんなさい…)に返してもらったので無し、母は常備薬、父はウエストポーチに入れていたカード電卓と書類(旅程やパンフの類)が盗られていました。あたふたする両親に平静を保つように言いましたが、私もかなりのショックを受けました。テルミニ駅から3つ目のスパーニャ駅で降り、そのまま何事も無かったようにスペイン広場へ行きましたが、ここも人だらけで誰もがスリに見えました。スペイン階段の上まで行き、トリニタ・デイ・モンティ教会を見てから、階段の中ほどでジェラートを食べている時に楽しそうに話し掛けてきたイタリア人のおじいさん(奥さんも一緒だった)も疑ってしまう始末。おじいさんは片言の日本語を話していて、いろいろと日本語を教えて欲しそうでしたが、第2次世界大戦の時、同盟国であったことなんかも嬉しそうに話していました。あんな事が無ければ楽しい会話になっていたと思うのですが…。
その後、有名なカフェ・グレコでカプチーノを飲みましたが、そこに来て初めてホッとする事が出来ました。今まで旅行でスリや引ったくり等の泥棒の類に出会ったことが無く、自分は用心しているから泥棒さんたちが寄って来ないのだと過信していた自分に反省です。やられるときはやられるって事を肝に銘じました…。 |